【ケンタッキー】カーネル・サンダースの失敗&成功ロード

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皆さんケンタッキーは好きですか?
フライドチキンおいしいですよね。
ちなみに僕が一番好きなメニューはビスケットです。

カーネル・サンダースは65歳の時、今のケンタッキーフライドチキンを立ち上げました。
けっこう高齢ですよね。
けどその人生は失敗続きでした。

今回はカーネル・サンダースのジェットコースターのような人生を紹介します。

目次

カーネル10~13歳のとき

カーネル・サンダースは10歳で初めて働きました。
仕事は木を切り倒す手伝い。
けど動物を見つけて追いかけたり遊んでいて1ヶ月で首
10歳って小学生くらい、まぁ遊んじゃうよね。

その後は真面目に働いて学校にも行ってました。
けど先生に納得がいかなくて13歳で学校にいくのをやめた。
今の日本で言うなら、中学校中退ですね。

カーネル16~22歳のとき

その後はいろいろな仕事をして、16歳の時に鉄道会社で働いていました。
頑張って出世もした、けれど仲間が鉄道事故で怪我をした。
なのに会社はそれに対してお金を払わなかった。
カーネル・サンダースは反発してお金を出させたけれど、会社を追い出されました。

カーネルは法律を勉強して22歳の時、弁護士事務所で働いていました。
けど裁判で弁護する人ともめて殴られてしまった。
それに対してそいつに椅子を投げようとしました。
その行為は止められたけど、弁護士が暴力を振るおうとしたことが問題になって弁護士の道が閉ざされました。
椅子投げる弁護士は嫌ですよね。

カーネル26~37歳のとき

26歳からはセールスマンをしていました。
セールスの才能があって成功、トップセールスマンになった。

31歳のときに金を注ぎ込んでライトを売る会社を作りました。
けれど他の会社が新製品を出してカーネル・サンダースの会社は潰れました。
34歳で無一文。

セールスマンに戻るけど自動車事故で怪我して半年休むことに。
治って仕事を探していると、ガソリンスタンドの仕事のオファーをもらったんです。
37歳でガソリンスタンドの店長となり売上げを伸ばします。
人生がいい感じになってきました。

ハッピー!
しかし、世の中が不景気になった。
カーネルはお金は後払いでいいよ、とガソリンを渡しました。
ガソリンのツケ払い、けれど不景気でガソリン代がもらえずに仕事を失いました。

カーネル再起

けれどまたガソリンスタンドのオファーがありました。
カーネルはケンタッキー州でガソリンスタンドを始めます。
そこには大きな通りがあって車がどんどん来ます、お客には困らなかった。
けどお客さんには1つ不満があった、それは近くに美味しい飲食店がなかったんです。

カーネル・サンダースはガソリンスタンドに食事ができる場所を作りました。
そして自分の料理を提供してみると…大好評!
フライドチキンが特に人気でした。

さらにガソリンスタンドを増やしてホテルも増やしてどれもどれも大人気。
人生がいい感じになってきましたね。

カーネル再再起

1956年、65歳の時。
すべてつぶれました、つぶれました。

近くに高速道路ができたことで、皆がそっちを通るようになって客が来ない。
すべてを失ったカーネルですが残されたものがありました。
それは人気だったフライドチキンのレシピです

次にやったことは、他のお店にフライドチキンをおいてもらうこと。
ガソリンスタンドが潰れる4年前、試しに他のレストランでフライドチキンをおいてもらったんです。
すると大人気になったという過去がありました。

ケンタッキーフライドチキンがスタート

カーネル・サンダースはケンタッキーフライドチキンを始めました。
ケンタッキーはケンタッキー州にあったから。

車にフライドチキンを作る道具を積んで、車でチキンを売って回りました。
お金がないから車中泊です。
失敗続きで、なんと1500回断られたという話もあります。

ちなみに皆さんは、おじいさんがあなたの店にチキン置いてくれって来たら置きますか?
ん~悩みますね。

そんな失敗が続きましたが、中にはおいてくれる店もあった。
置いてみると好評でフライドチキン目当てのお客が入るようになった

そして始めてから2年後、うちの店にもフライドチキンを置いてくれっていう電話がたくさん来ました。
ケンタッキーフライドチキンは世界中へ、日本にも広まって行きました。

カーネルの人生から学べる3つのこと

その1

人生が激しくアップダウンすることもある。
けどやり直せる、立ち直れるということです。
カーネル・サンダースは65歳から成功したんですから。

その2

自分が持っているものと自分の武器をよく知ること。
カーネルの場合、持っていたのは美味しいフライドチキンのレシピ。
武器は失敗を続けて身についたセールスの力でした。

その3

人のために尽くすこと。

カーネルは貧乏だった時から収入の数%を教会に寄付していました。
テレビに出るようになってからは出演料を大学に寄付をしていた。

またケンタッキーを始めてチキンが売れなかった時、神に誓いました。
売れたら半分寄付すると。
すると数日後、なんと売れていったんです。
数年してカーネル財団という寄付団体を作って財産の半分を寄付していました。

鉄道事故で仲間のために会社に反発したのも人のため。
ガソリンを配ったのも人のため。
美味しいお店が無いから作ったのも人のため。

人のために頑張るっていうの大切ですね。

 

以上、カーネル・サンダースの人生でした。
ありがとうございました。

ケンタッキーの話をしたら食べたくなったのでビスケットを買いに行こうかな。

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この記事を書いた人

志真(しま)
野良マンガ家、漫画描いたりブログ描いたりして引きこもっている。漫画は↓
一迅社「女騎士さまは屈しない!」
ジャンプ+「好敵手紀行」など

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